今日5月13日はブラジルの奴隷制が廃止された日ですね!
うん、ただそれがなかなかお祝いできるような日でもないことは、昨晩のカポエイラ読解講座でも話した通りだね。
それはあくまでも制度が廃止されたというだけで、「自由人」となった黒人たちには土地も住居も賠償金も教育も何の保証も与えられなかったんだ。
「はい、あんたたち今日から自由です」って、ほっぽり出されて、何の生活の基盤もないから、結局はもとの奴隷同然の仕事に戻ったり、お腹が空いてものを盗めば警察に捕まって犯罪者だし、掘っ立て小屋を作って身を寄せ合えばスラムを作ることになる。
今日のブラジルで黒人たちが置かれている状況は、この時からほとんど変わってないともいえるんだよ。
そういえばブラジルに行った時、路上の清掃員とかお手伝いさんたちって黒人の人たちが多かったような・・・。ホームレスとか、ものをねだってくる子どもたちなんかも・・・。
むしろブラジル政府が手厚く扱ったのは、日本を含む外国、特にヨーロッパからの白人移民の方だったんだ。
その背景には混血を促進することでブラジルのアフリカ性を薄め、黒いブラジルから褐色のブラジルへ、できればなるべく白いブラジルへ近づけたいとする政治家やエリートたちの思惑があったんだね。
えー、ブラジルって混血の国だから、人種どうし仲がいいんだと思ってました。
たしかにそういうイメージは広まってるよね。小学校の社会の教科書にも「人種のるつぼ、サンパウロ」という写真が載ってたな。もうウン十年前だけど。
昔は、当のブラジルでも人種民主主義(democracia racial)っていう言葉があって、それが国の誇りのように語られていた時代もあったけど、今日では誰も信じてないだろうね。
でもカポエイラもサンバももとはアフリカから連れてこられた黒人の文化だし、それがこれだけ人気だってことは、黒人の人々の地位もそんなに低くもないんじゃないのかな?
まぁね、たしかに表面的にはそう見える気もするよね。
ただそういう状況もごく最近のことっていうのと、よくよくその中身を見ると、当の黒人が主役でなくなっちゃってきてるという側面も見えてくるんだよ。
奴隷制の廃止が1888年で、1890年にそれまでの帝政から共和制に政治体制が変わります。このタイミングで、カポエイラやサンバ、宗教のカンドンブレなど、アフリカにルーツを持つ文化が刑法で違法とされ、カポエイラやって捕まったら牢屋に入れられるという話になったんだ。
ええっ、でもそれって普通に考えたらおかしくないですか?
だって一方で奴隷の身分を解放しておいて、親切にしてあげた感じで、でも他方でその人たちの楽しみを奪おうとするなんて。なんか矛盾してるような・・・。
だよね。
ただやっぱりベースには、黒いブラジルを白くしたいというエリートたちの思いがあったんだよ。
文化とか宗教ってのは、その民族の精神的な基盤ともいえるもんね。そこを厳しく取り締まることで、アフリカ性を極力薄めた形でブラジルを発展させていきたいと考えたんだね。
でも、そう考えると、それから100年余りでカポエイラがブラジルを代表する文化遺産としてユネスコという国連の文化機関に認められちゃうなんて、またまたすごい出世ですね!
っていうか、犯罪として取り締まられていたカポエイラなわけだし、よくそんな状況がブラジル国内でそこまで変わりましたね。
なかなか鋭いとこ突いてくるね(笑)!
それを言うならメストリ・ビンバがカポエイラ・ヘジオナウを創始して、彼の道場がサルヴァドールの医学部の白人学生たちであふれかえったのは1930年代だよ。カポエイラの犯罪化からわずか40年くらいのころだよね。
あるいはビンバがヴァルガス大統領に招かれてカポエイラのデモンストレーションをしたのが1953年で、そのときヴァルガスは「カポエイラこそ真にブラジル的な格闘技だ」と言ったとされている。
なんか展開が早いですね!
うん、今日は長くなるからもう触れないけど、実際にはビンバのヘジオナウ登場以前にリオでもカポエイラの国技化の動きがあったり、バイーアはバイーアでスポーツ化の動きや観光業との絡みで、カポエイラを取り巻く環境は劇的に変わっていくんだね。
で、習い事にしても観光客向けのショーにしても、ようはお金を払って消費される商品にカポエイラが変わっていってしまったんだ。
そうなると他の業種と同じで、社会的経済的ベースがしっかりしてる人たちの方が有利に立ち回れるわけで、カポエイラをめぐっても白人の方がおいしいところを持っていけるという構図になっちゃう。
ん~、そっか・・・。
うちのメストリも白人なので、なんか複雑な気分・・・。
でも今ブラジルの大きなグループのトップにいるメストリたちを一人ずつ思い浮かべてたんですけど、確かに明るい肌の色の人たちばかりのような気がします。
ごめん、ごめん、別にゆきちゃんのグループの先生を責めてるわけじゃないんだよ。
あたり前だけど、白人だって白人に生まれたくて生まれてきたわけじゃないしね。そういう意味じゃ黒人だって白人だって日本人だって、お金持ちの家族に生まれるか、ファヴェーラの家に生まれるか、何色の肌で生まれるかなんてのは、生まれた本人にしてみればあくまでも偶然なんだ。
で、生まれてくれば、それぞれに置かれた環境の中で一生懸命生きるのは当然だもんね。だから大きなグループのトップにいる白人のメストリたちの個人的な努力が否定されるべきじゃないし、ましてやその地位を黒人の古い先生たちに譲ってあげなさいと誰が言えるもんでもないんだよ。
なるほど、それを聞いて少しホッとしました。
あぁ、よかった(笑)。
つまりね、問題は、個人レベルじゃなくて、社会レベルの話なんだ。
歴史的に白人が黒人を奴隷にして支配した。それが奴隷制度がなくなっても、その構造は変わらないまま今日まで来ちゃってる。だから今の状況で「よ~い、どん」とやってもフェアじゃないんだよ。立ってるスタートラインが全然違うからね。
だから国会議員、官僚、大企業の社長、学者、マスコミのトップなど、ブラジル社会の重要なポストに黒人の割合が少ないのは、彼らに能力がないとか努力が足りないという話じゃないのは分かるよね。
はい!なんか、とても問題がクリアになってきた気がします。
でも問題のスケールが大きすぎて・・・。けっきょく何をどうすればいいんでしょうか?
それを自分の頭で考えてみるのが、今日5月13日の意味じゃないかな?
もちろん直接的にはブラジル人たちのブラジル社会の問題だけど、カポエイラというアフロ・ブラジル文化からいろいろ学ばせてもらっている私たち日本人として、何かできることはあるのか?あるいは何もしなくていいのか?
じっくり考えてみて、何か考えが浮かんだらまた教えてください。
いや~、カポエイラって深いですね。いっそう興味がわいてきました!
ちょっと私なりに考えてみます!ありがとうございました。
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