カプー20周年に思う

カポエイラ全般

昨日は月さん率いるカプー・ジャポン20周年記念のバチザードに行った。おそらく私と同じ感慨を抱いて昨日のホーダを見つめた人はそう多くはないだろう。一口に20年というが、20年といえば、赤ん坊が成人するまでの月日であり、私がカポエイラを始めた当時(1995年)、何の根拠か分からないが生徒がメストリになるには20年かかるといわれていた、そういう年月である。

カポエイラを続けるのはレジスタンス(resistência)だ。その起源から今日にいたるまで、奴隷主から鞭打たれ、警察に拘留され、社会の偏見にさらされ、その歴史を振り返れば、どの時代にもカポエイラを絶やそう、止めさせようという暴力に晒されてきた。それはスポーツ、習い事になった今日でも形を変えて残っている。仕事の疲れ、バイト、他の習い事、家の事情、暑さ、寒さなど、カポエイラの練習に向かう足を止めさせる理由はいたるところに転がっている。その意味では、一人の人間が自分だけのために自分のペースでカポエイラを20年続けるだけでも十分に偉業なのだ。

しかしグループを20年に渡って維持する指導者、リーダーの払う努力、犠牲はまったく別の次元である。生徒にとって、カポエイラは行きたいときに行けばいい場であるが、指導する人間にとってはそうではない。いかに気分が乗らなくても、雨でも雪でもその場に行かなくてはならない。さらには毎月の場所取りの抽選、楽器運びなど裏方の仕事もあるだろう。昔メストリ・プリーニオに言われた言葉が忘れられない。「たとえビーチに人がいなくても、太陽はそこを照らしてなくてはならない」。まさにその通り。指導する人間は「太陽」的であることが求められる。太陽は毎日昇って当たり前。世界を照らして当たり前。たとえ曇って見えないときも、その裏でいつも通り輝いているわけで、別に休んでいるわけではないのだ。聞けば誰もが「ありがたい」と言うが、普段はとりわけ誰にも気づかれにくいそういう役割である。

今日はこんなことをやろう、と前の日から練習のネタを準備しておいて、いさんでスタジオの扉を開けたら誰もいない。そのときの気持ちを生徒が想像するのは難しい。それでも指導者は次回も練習に向かう。指導者にも家族はある。分担すべき家事もあれば、話を聞いてあげるべき妻もいれば、遊んで欲しい子供たちもいる。生徒は休めるが、指導者は休めない。決定的な立場の違いがそこにある。

カプーは20年続いた。では月さんと同世代の人が何人残っているか?もちろん去った人を責めるつもりはまったくない。ただ残った人を認めたいだけである。何人いるか?数えられる人は数えてみて欲しい。何人いるか?

「おめでとうございます」「お疲れ様でした」と人は言い、実際それ以外の言葉をかけるのも難しいが、「さまざまなことx20年」の重みに実感を持って思いをはせられる人は多くはないだろう。それは親の思い子知らずで、まさに親の役割と同じなのだ。子は自分が親になって初めて親のありがたみが分かるという。しかし生徒のほとんどは指導者になることはない。

私もふだん特別濃密な付き合いが月さんとあるわけではないが、これまでひとつのカポエイラグループを、何があっても投げ出さずに切り盛りしてきたという一点をもって、他の誰にも感じえない「同志」の意識を一方的に感じている。心強いことに日本各地には地道に自分の役割を果たしている「月さん」たちが散らばっている。彼らこそがもう30年経ったときに日本のカポエイラの先駆者(ancestrais)として回顧されることになるだろう。

カポエイラはフェスタ。Sim。楽しいスポーツ。Sim。多くの人にとってはsim。しかしその場を在らしめている人間にとっては、それだけではない。カポエイラはレジスタンス。日々戦いの連続なのだ。

ではそういう戦士(guerreiro)たちと共闘する方法は?もちろんある。でもそれは生徒の皆さん、ご自分で考えてみてください。カプーの次の10年、日本のカポエイラの未来は、皆さんのあり方にかかっているわけですから。

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