昨日からの気の重み

カポエイラ全般

メストリ・スアスナ、エスピホ・ミリンらコルダゥン・ジ・オウロのメストリたちによる少年への性的虐待問題について、昨日から何とも言えないざわざわした落ち着かない気持ちを引きずっています。実際、昨日は仕事の中でも日ごろはしないようなミスを連発し、自分でもどこか歯車が狂ったような、ふわふわしたちぐはぐ感を感じています。

私自身、被害にあった少年少女たちと同じ年代の子供を持つ親として、子どもたちの感じた恐怖や戸惑い、親たちのこみ上げる怒りはかなりリアルに想像できます。それは絶対に許されることではないし、もし自分の子供が被害にあっていたら、犯人をぶっ殺してやりたいと思うでしょう。

ただ今回、その感情を向ける矛先が、敬愛するカポエイラのメストリたちであるということ。しかもそれが会ったこともない人たちではなくて、それこそ私がカポエイラを始めた当初から身近にいたメストリだということで、勝手な板挟み感に苦しんでいます。

もっとも私の場合は直接の生徒でもグループのメンバーでもないですが、そういう立場の友人が何人もいますので、彼ら彼女らの気持ちを想像しても、本当に苦しい気持ちです。

「うちのグループはpedofilia(小児性愛)に断固反対します」と反対表明するのは簡単です。それはその通りなんですが、それじゃあまりにもよそよそしい対応というか、今の私にはそう感じられてしまいます。少なくとも、そう言い切って次の話題に移れない、どこかでずっと引きずっている重苦しさがあるんですね。

それにしてもメストリ・スアスナ・・・。心の底から残念です。私の個人的な感じ方としては、ビンバ、パスチーニャ、スアスナとしてもいいんじゃないかと思えるくらいカリスマ的で、スタイルを超えて大きな実績のある人物。これまでの数十年に及ぶ積み重ねが、この一事で一瞬にして地に落ちた感があります。これが教会だったら、ローマ法王のスキャンダルに匹敵するようなインパクトです。

今回の報道は、いうまでもなくカポエイラに対する世間のイメージを大きく傷つけました。そういう意味ではカポエイリスタ全員が被害者です。家族関係が複雑なブラジル社会において、カポエイラのグループは疑似家族のような存在だといわれます。被害者の少年や少女たちが語っているように、メストリたちは多くの場合、父親代わりのような存在です。教育者として、親代わりとして本来子供たちを守るべき立場にある人間が、その力関係を利用し、相手の貧困や将来の夢に付け込むような形で自らの性欲を満たすという行為は、やはり卑劣というほかありません。

一方で噂は昔から聞いていたのも確かです。サンパウロの古い世代の中では、ある意味公然の秘密のような話で、私自身も具体的にだれだれが嫌な思いをさせられたという話をいくつも聞いていました。そういう意味では、多くの人たちにとっては「やっぱりか」という印象だろうと思います。

ただ誰もそれ以上突っ込んでこなかったというのは、周りの責任といわれても仕方ないかもしれません。被害にあっている子供たちの立場に寄り添うより、目の前のメストリとの関係、あるいは「できればそうであってほしくない」という潜在的な願望が、問題から目を背けさせてきたのかもしれません。

まして日ごろからピアーダ(ジョークの小話)を語って、周りを笑いの渦に巻いてきたメストリです。そういうネタも自虐ネタとして笑い飛ばしてきたようです。そういう彼の人懐っこい性格も、問題の深刻さを和らげてきたのでしょう。

今日の投稿には何のオチもまとめもありません。単なる重苦しい気持ちのdesabafo(吐露)です。きっと多くの人たちが私と同じような、いや私以上に晴れない気持ちを引きずっていることでしょう。私もそうだという表明です。

 

Capoeiristas denunciam mestres de um dos maiores grupos do País por crimes sexuais
Lideranças do Cordão de Ouro teriam cometido abusos contra crianças e adolescentes desde a década de 1970, mostram relatos e denúncias

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