「10人の『モア』」として、日本の「モア」として

ひとりの「モア」が死ぬごとに、10人の「モア」が生まれるだろう。

メストリ・コブラ・マンサがペロウリーニョで行ったメストリ・モアの追悼集会での言葉だ。「私たちは立ち止まらない。私たちは黙らない」とメストリ・コブラ・マンサは続けた。

嘆き悲しむだけで、何もしなければ、何も変わらない。私も「10人の『モア』」のひとりとして、日本でできることをしていきたいと思う。

もし今回の事件が大統領選の時期ではなく、あるいはサッカーの話題がきっかけで引き起こされたものだったとしたら、カポエイラ界の反応もまた違ったものになっていた可能性はある。

パウロ・セルジオ・フェヘイラ・ジ・サンタナ容疑者が逮捕歴もある低所得階層の黒人だったことからしても、おそらく人種的な偏見が原因で起こした犯行ではない。彼の住居は、事件の現場となったバーから数百メートルのところにあり、この地区に移り住んで2か月足らずの新しい住人だった。おそらく彼は誰と口論しているか知らなかっただろうし、その意味では「メストリ・モア」を殺したわけではないだろう。ただ自分と政治的信条の異なる人間を許すことができず、短絡的に暴力で解決しようとした、たまたまその相手が私たちのメストリ・モアだったと見るのが冷静な見方かもしれない。憎まれるべきは彼の暴力であり、日々多くの「パウロ・セルジオ」を生み出し続けているブラジルの社会構造だろう。その意味では、この事件を「政治と切り離して考えるべき」「政治の駆け引きに利用しないでほしい」という意見にもうなずける。

ただ今回の事件が起こった背景とその構図は、これまでブラジル社会でカポエイラや黒人が置かれてきた状況、戦って来た歴史からして、あまりにもシンボリックだった。

当時はブラジル大統領選、真っ只中。女性や性的少数者への蔑視発言を繰り返し、黒人や先住民族の権利を奪うことを公言している極右のボウソナロ候補が優勢で、実際10月7日の投票でトップの46%の得票率を得た。28日のアダジ候補との決選投票を前に、ブラジル世論が真っ二つに割れ、マイノリティー集団が未曽有の危機感を募らせている。「ボウソナロを支持するカポエイリスタは、カポエイラに対する抑圧そのものを支援していることに気づいていないのか?」という声がカポエイラ界の良識派の声として大勢を占めていた。

そういう状況の中で起こった今回の事件は、黒人文化の振興やその地位向上運動の先頭に立ってきた人物が、選挙の投票者をめぐる口論でボウソナロの熱狂的な支持者に刺殺されるという構図をとった。「メストリ・モアの死を無駄にするな」という掛け声のもと、反ボウソナロを旗印にカポエイリスタたちの結束がいっそう強まるのもごく自然な流れであった。

カポエイラが今日ある地位に至るまで、決して平坦な道のりではなかった。国家権力からの様々な抑圧を生き抜き、先人たちが文字通り命を賭して伝統を守り抜いてきた歴史がある。残念ながらその歴史は現在進行形であることを、メストリ・モアの死をめぐるすべての動きが物語っている。

カポエイラは単なるスポーツではない。奴隷とされた黒人たちが、時に武芸として時に遊びとして、身体的、精神的解放を求めてたしなんだ身体文化であり、抑圧的な社会を生き抜くための処世術でもあった。20世紀の中ごろ以降は教育的な要素が強まり、カポエイラのホーダは、人種、性別、国籍を超えた共存の場となり、他者の尊重、異文化への寛容といった市民性を育む教育スペースとして機能している。カポエイラがそういう政治的・社会的なメッセージを背負った文化だということ。残念ながら、この本来最も本質的な側面が、われわれ日本人カポエイリスタには一番縁遠い。



10月14日に私たちアンゴレイロス・ド・セルタゥン名古屋では、メストリ・モアの追悼ホーダを行った。今回の大統領選挙の争点やそれをめぐる支持者たちの思い、自分と異なる意見を安易に暴力で解決しようとするブラジルの現状とそれを下支えする社会的な構造があることなどを話し合った。カポエイラが単なるブラジルのエクササイズではなく、社会的、政治的な戦いと切り離せないという事実を、多くのメンバーがあらためて認識することになった。



私たちは黒人ではない。しかしカポエイラの歴史認識を通して学べることは、黒人をはじめとする被抑圧者の視点で世界を見ること、直接的・間接的に抑圧に加担することで抑圧者の側に身を置かないという意識を持つことだろう。

メストリ・コブラ・マンサの集会を報じたビデオクリップの最後にキング牧師の言葉が引用されていた。

最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。

日本のカポエイラとして、日本人の「モア」として、日本人だからできること、日本人にしかできないこと、日本人だからやりやすいこと、それらを模索し、実行していくことが、世界中の「モア」たちと連帯する道だと思う。

Viva Mestre Moa do Katendê! Moa vive!

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