カポエイラ、とくにアンゴーラ界でも全く同じ問題がありますね。カポエイラは民衆の文化だ、だれにでもアクセスしてもらえるのが理想だ、したがって無料か格安であるべきだ、と。
うちのグルーブにも国内外からビジターがみえますが、「あぁー今日は楽しかったです。本当にありがとうございましたと丁重に明るく挨拶をして、レッスン料のことに触れもせずに帰ってしまう方がいます。そういう場合私からは請求はしていません。逆にいくらですか?と聞いていただく方には料金をお伝えして、いただいています。
なんか正直者がバカを見ているようで変ですよね?私もそう思わなくもないのですが、私の考えでは、払わなかった方はなんの得もしていませんので、Deixa pra lá. Tchau! で、そこまでです。
あらゆる意味でアンゴーラの拠点を維持するのが日々いかに大変か。そこの理解、想像が働く人が、私にとっては真の同志です。フェスタの部分だけで繋がりたい人たちはcliente(お客さん)と言って悪ければ、ただのcolega(同僚)です!
※引用元の伊藤雅史さんのfacebookの投稿(2023.8.23)
◇◆◇日本で文化芸術や芸事で生活がしづらい原因◇◆◇日本は文化後進国だと思います。「いやいや、ちょっと待て!歌舞伎だの能だの伝統文化があるじゃないか!」と反論される方がいらっしゃると思うけど。やっぱり文化後進国です。理由はアーティストが自分の技芸でメシが食えない率が高いその上それが当たり前になってる。文化芸術、技芸に対するリスペクトが低い。ヨーロッパ、アメリカではアーティストはしっかりとしたビジネスとして活動をしている。「芸術家たるもの清く貧しくあれ」とかはありません。ちなみに美術学校ではマーケティングの授業もあります。で、よく問題になるのが「知り合いなんだからタダでやってよ」問題ここら辺は散々いろんなアーティストが問題提起してるのであまり触れないですが、それ以外にもアーティスト側にも問題がある。「タダでやっちゃう」問題一つの技芸を習得するために時間とお金と労力をかけている。にも、かかわらず「出演したいから」とか「世話になってるから」という理由でタダで対応しちゃう。それはその人自身の価値を下げる。のみならず同じジャンルで活動している人たちの価値も下げる。それが複数人いるならその複数人全員で、そのジャンル自体の価値を下げている。自分だけの問題ではない。かくして受け手と送り手の二者相乗効果で日本は文化後進国になり自分の技芸でメシの食えない社会になる。技芸も他の仕事と一緒。「いやいや、趣味だから…」と反論する人もいる。一円でもお金が発生する時点で趣味ではない。もしくは、人前に立つという時点で受け手は「この人は趣味だから」と思って見るわけではない。その業界全体が「趣味でいいや」ってなってるのならいい。でも「仕事」としてやっていきたいと活動してる人がいるならそこはリスペクトしないといけないと思う。「仕事」としてやる以上対価は発生する。それも多くの他の仕事と一緒。「今月厳しいから、月給半分でいいよね?」「予算無いから、作業工賃ゼロでいいよね?」「財布にお金ないから、このラーメン、タダでいいよね?」「貯金無いから、この車半額でいいよね?」とか言われたらキレませんか?ふざくんな!ってなるでしょ。っていうか犯罪になるし。アーティスト側もキレましょう。「ちゃちゃっとできるじゃん」って言われてもです。その「ちゃちゃっと」になるまでにどんだけの時間と労力かけた?ピカソの逸話が有名あるご婦人がピカソに道端でサイン程度に絵をかいてもらったピカソに値段聞いたらウン十万と言われる。驚いたご婦人は「ほんの数分で書いたものがウン十万なんて!」と叫ぶ。ピカソは言い返す「違う。50年プラス数分だと」細部はうる覚え(笑)受け手側の「ダダでやってよ」メンタリティも送り手側の「タダでやっちゃう」メンタリティも技芸を身に着けて顧客を開拓して市場を開拓して仲間を増やしてやっと仕事として形にしている人たちの想いや生活を踏みにじる行為だと考えるべきだと思います。自分の普段している仕事が無作法に軽んじられたり、仕事自体の価値を壊されたりしたらどう思いますか?それで家族が養えなくなったら?それでも笑顔で、その仕事続けます?文化芸能、技芸は自分の仕事とは違うからいい?こういう認識が中々消えない。文化に対して成熟しない。だから日本は文化後進国と思うわけです。
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