今日の話は、知っておくと、この先の生き方がだいぶ楽になるかもしれませんよ!個人的にはマンジンゲイロに近づける道だとさえ思ってます!
日本人は他人の目を気にするけど、ブラジル人は自分をしっかり持ってる、他人にどう思われようと気にしない、なんて言われたりします。みなさんもそんな風に感じていますか?
人づき合いってホントに煩わしいよね、もっと自分の気持ちに正直に生きたいな、と思ったとき、他者の承認からいかに自由になれるかってとっても大きな問題ですよね。
かく言う私だって、「ロバのポル語」のyoutube視聴回数が半年たっても数百なのに、子どもがスライムこねてる動画が3日で数万回なんてのを見ると、あわねぇーなと思うこともあります(笑)。
日本で近年まれにみるロングセラーとなった、岸見一郎さんの『嫌われる勇気』が説くエッセンスの一つは、「課題の分離」という考え方でした。
誰にでも他人に認められたいという承認欲求があるが、他人がどう思うかは他人の問題で、自分にはコントロールできない。自分にコントロールできないことで悩むのは時間の無駄。自分で変えられる部分を変えようとするのは自分の課題だが、それを相手がどう評価するかは相手の課題。それをごっちゃにして、他人の課題にまで踏み込んで気をもんでいるのは意味ないよという話だったと思います。
この部分を読んだとき、いくつかのポルトガル語のフレーズが立て続けに私の頭を閃光のごとくよぎり、私の尊敬するブラジルの友人たちがストレス・フリーで飄々と生きている極意が見えたような気がしました。
おそらく皆さんも耳にしたことあるだろうと思いますが、まずはこれです。
Eu fiz a minha parte. 自分のパートはやった。
今まで何気なく聞いてきたし、私自身も口にしていましたが、この「課題の分離」の話を知ってから、なんだか急にとても力強いフレーズのように思えてきました。
もちろん文脈によっては、「自分の割り当てはこなしたから、あとはどうなっても俺知らないよ」という無責任な意味に取ることもできますし、実際そういう意味合いで使われることもあります。
でもここはせっかくなので、もっと積極的な意味でとらえておきましょうよ。これこそ「自分にできることはやったので、それを相手がどう思おうとそれは相手の課題だ」という発想に通じ、「課題の分離」のど真ん中を射抜いたスーパー・フレーズでありましょうぞ!
そう考えると、これまでカポエイラの師匠たちからかけていただいた言葉
Faça a sua parte. 自分のパートをこなしなさい。
も、がぜん深みを増して感じられてくるのです。
こういうアングルを獲得したとたん、これまで何気なく使っていたフレーズたちに考えてもなかったパワーが秘められていたことを次々に発見します。
たとえば
O problema é dele. それはあいつの問題だ。
Não é meu problema. 自分の問題じゃない。
あるいは、こんなのも。
Ele é que tá falando. あいつがそう言ってるだけだろ。
Você é que tá pensando. そう思ってるのはお前だろ。
まだまだほかにもあるでしょうね。見つけられた方はぜひ教えてください。
岸見さんの言う「嫌われる勇気」とは、別に積極的に嫌われろといっているのではなくて、他人から嫌われることを必要以上に気にせず、自分の人生を生きろと言っているわけですね。他人にどう思われるかを基準に生きるというのは、イコール、自分の人生の決定権を他人に握られているということだよ。誰かの期待に応えるために生きるなんて、まるで他人の人生を生きるのと同じじゃん、というアドバイスだと思います。
「ブラジル人の生き方って自由で素敵だな」なんて指をくわえて、あこがれていても始まりません。やっぱり何かしらアクションを起こさないとですね!そのときに日本語で「課題の分離、課題の分離」と唱えるのももちろんいいですが、せっかくブラジル文化に接して、ポル語をかじっている私達ですから、ポル語のおまじないとして自分のものにしてしまうのもおつじゃないですか!
こんなふうにさっと唱えられるフレーズを持っている人ってきっと強いですよ。結局、かつてバイーアのマンジンゲイロたちが持っていたオラサゥン(oração)というのは、こういう類のものだったのではと想像します。
ということで、私がおすすめする、「嫌われる勇気」を持てる最強3フレーズはこちらです!
① Eu fiz a minha parte. 自分のパートはやった。
② O problema é dele. それはあいつの問題だ。
③ Ele é que tá falando. あいつがそう言ってるだけだろ。
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